「ねー、ちぃちゃんさー」
いつものように部屋に遊びに来ていたみっちゃんが、こたつで読んでいたマンガから顔を上げて唐突に口を開いた。
まぁ、みっちゃんの行動は、いつも唐突なんだけどね。
「暇だよねー」
マンガ読んでるじゃん、今。
「空しい…この空しさはマンガなんかじゃ満たされないんだ」
じゃそのマンガ返して。
てか、なんで買ってきたあたしより先にみっちゃんがそれを読んでるのか、教えて欲しい。
「おいおい、やだなー。マンガに罪は無いよ。だから読むのはあたしだ」
相変わらず訳がわからんな。
もぅ、結局読みたいの読みたくないの？
「そりゃ読みたい…けどずっと座ってたから尻が痛い。だからちぃちゃん、耳かきっこしよう！」
はぁ？突然なにを言い出すのさ。
大体、危ないから自分で耳かきしちゃ駄目だって、ママが言ってたよ。
「自分でするんじゃないよ。ちぃちゃんはあたしを、あたしはちぃちゃんをやるんだから」
同じことだよ、あたしがみっちゃんの耳をかくんだから。みっちゃんの耳が危ないんだよ。それでもいいの？
「人生ってね、危険が一杯なの。わかる？ちぃちゃん」
だから？
「時には、危険に立ち向かう勇気も必要なんだ」
はいはい。そこまで言うなら、ちょっと待ってて。
もう、みっちゃんたら、言い出したら聞かないんだからなぁ。
耳かきは…確か、この間お風呂あがりに使ったよね…
あたしは足早に階段を降りて、一階の居間に向かった。
そこで、目的のものが収まっている筈の、戸棚の引き出しを開けると。
あったあった。
目的のもの、綿棒は円筒形のケースに一纏まりになって入っている。
力を入れるとふにゃっとするビニール製の蓋を開けて、ケースの中から数本を手に取り、足早に部屋へと戻る。
みっちゃん、待たせるとまたウルサイからなぁ。
だけど、部屋に入って開口一番かけられた言葉は。
「遅かったじゃん」
遅かったか？あたしは随分頑張って早く戻ってきたぞ？
「それはいいからさぁ、んじゃ、まずはちぃちゃんからお願い」
みっちゃんと話していてふと感じる、この脱力感は何なんだろう…
それにしても、人の耳かきなんてやったことないんだけど。上手くできるのかな。
じゃ、やってみるからじっとしててよ。
「じぃーーーっ」
無駄に効果音を発しつつ、あたしの顔を見つめたまま、みっちゃんはじっとしている。
何やってるのさ？早く横向いて耳を見せてよ。
「…あのさぁ、ちぃちゃん。耳かきだよ、耳かきなんだよ」
そうだね。耳かきだね。
「だったら！ひざ枕してくれなきゃ」
はぁ？そんなのどうだっていいじゃん。
「何を言うか！耳かきと言えばひざ枕。それは遥か太古の昔から語り継がれた…源氏物語で光源氏も紫式部にしてもらってたよね？」
みっちゃん…話が目茶苦茶だよ。
あー、はいはい。分かった、ひざ枕すればいいんでしょ。
仕方無い、付き合ってあげるよ。
はい、正座したよ。これでいい？
「うむ」
そんな、神妙な顔で頷かんでも。
そしてみっちゃんは、おもむろに髪を留めているゴムバンドをもそもそと外し、ツインテールを下ろした。
みっちゃんて、こうするとすごくおしとやかに印象変わるんだよね。
…一緒に、中身も変わってくれればいいのに。
そんな儚い願いをよそに、ごろりと横になったみっちゃんの頭が、正座するあたしの太ももの上に乗っかってきた。
ひゃぁ。もう、くすぐったいから頭をグリグリ動かさないでよ。
「ごめんごめん、ちょっと頭が痒かったの。気にしないで続けて、千佳マ・マ♪」
ママって、おい…
気を取り直して、綿棒を一本手に取り耳かき開始。
みっちゃんの耳の穴って、随分小さいなぁ。
んー、暗くて中がよく見えない。
怖々と、綿棒の先をちょっとだけ穴の中に入れて、ぐるりと一周させてみた。
引き上げた綿棒の先には、アメ色の耳アカがねっとりと絡み付いている。
お？
みっちゃん、耳アカがネバってる。
「ん、なにさ？」
や、みっちゃんの耳アカってネバネバしてるんだね。
あたしの耳アカってカサカサだよ。
「そんなのどうでもいいからさぁ、奥奥、もーっと奥まで入れてよ」
それって、結構大きな違いのような気がするんだけど。
ま、いいか。
最初は怖いと思ってたけど、目が慣れてきたのかな。奥の方まで見えるようになってきた。
うわ…なんかネバネバしたものが奥までいっぱい溜まってるじゃん。
どれどれ。
綿棒を入れて、ネバネバを掻き集めるように耳の穴の中を滑らせて…。
クリックリッ…ゴシゴシ…
そして、指先で綿棒をクルクルと回転させ、集めた耳アカを綿の先にからめ捕って、と。
クルクル…クリクリ…
おおっ、結構捕れたかも。
「んふっ」
うわっ、何っ。気持ち悪い声出さないでよ。
「やだなぁ、そんなにセクシーで色っぽかった？」
…..もう突っ込む気にもなれん。
それより、今の声は何だったの。痛かった？
「いや、くすぐったかっただけだが」
嫌ならやめるよ？
「やめるな！むしろ続けろ！！」
はいはい…
「あ、あと綿棒取り替えてくれる？冷っこかったよ」
もう、色々注文が多いな～
綿棒の先には、アメ色の耳アカがたっぷりとからみ付いていた。
ティッシュでふき取ってみたけど、綿自体が茶色く変色していて、確かにもう一度使う気にはなれない。
綿棒は両方の端が使えるので、上下を引っ繰り返して新しい方を耳の中へ。
そして、何度か繰り返すたび、何となくコツがわかってきた。
綿棒をただ真っすぐに入れるとアカを奥に押し込んじゃうので、穴伝いに横に動かして拭き取る感じにすればいいんだ。
グッ、グッ…スッ、スッ…
耳アカを掻き集めるように綿棒の先を耳の穴に擦り付けながら、グリグリッ…と。
「んっ…うふ…ん…あっ…はぁ…」
みっちゃんは、緩く目を閉じたまぶたをヒクヒクと動かしつつ、顔には満面の笑みを浮かべている。
半開きの口からは、さっきから吐息とも喘ぎともつかない声をあげていて、気になるんだよね。
それにしても、幸せそうな顔してるなぁ。
これだけ気持ち良さそうにしてるって事は、あたしの耳かきの腕も満更じゃないのかも。
今度は、末利ちゃんとアナちゃんにもやってあげようかな。
ゴシゴシ…スッ…クルッ…
水飴のように粘っていた耳アカを取り去ると、みっちゃんの耳の中はすっかりと奇麗になった。
はい、終わったよ。
「えぇー、もう終わりー？」
みっちゃんは頭をあたしのフトモモにのせたまま、ちょっとだけ顔を上げて恨めしそうな視線を向けてくる。
そんな不満そうな言い方しないでよ。もう取るもの何もないんだからね。
それにしても、みっちゃんて普段耳かきしないの？凄く耳アカ溜まってたよ。
「いや、ママがさぁ「耳掃除はそんなに毎日するもんじゃないのよ、耳アカがちゃんと溜まってからね」って言って、なかなかしてくれないんだ」
ちなみに、みっちゃんによるママの物まねは、あまり似ていない。
「だから、耳の中が痒いのを我慢して２週間ほど溜め込んでたのさ」
そこまでして…よっぽど耳かきが好きなんだね、みっちゃんて。
「という訳だから、今度は反対側ね、知佳マ・マ♪」
だから、それはもういいって…
言うが早いか、みっちゃんはあたしの膝の上で反対方向にぐるりと頭を回転させた。
髪の毛がズズッと股の上を這って、これがまたくすぐったいよ。
でも、あたしの膝の上で幸せそうな顔をしているみっちゃんを見ていると、奇麗に耳アカを掃除してあげたいなという気になってくるから不思議だ。
さて、じゃあやりますか…
「ただいまー。あれ、美羽の奴寝てたのか。どうりで静かだと思った」
ガチャリ、と部屋のドアを空けて顔を覗かせたのは、学校から帰ってきた伸恵お姉ちゃん。
あ、おかえり。
「しかも、ひざ枕なんかして。どういう風の吹き回しよ」
耳かきしてあげてたら、そのまま寝ちゃったんだよ。
お姉ちゃんごめん、みっちゃんをベッドに移してあげて。ずっとこの姿勢だったから、いい加減足が痺れてきちゃった。
そう、反対側の耳を耳かきしている最中、気が付けばいつの間にか、みっちゃんはぐっすりと眠りこんじゃった。
あまりにも気持ち良さそうに寝てるもんだから、そのまま起こせなかったんだ。
「そう言いながら、ずっとひざ枕してあげてるなんて。ちぃも良いトコあるじゃん。
それにしても、やっぱり美羽は甘えん坊だなぁ。あんたのフトモモの上で幸せそうな顔してるよ」
お姉ちゃんは眠ったままのみっちゃんを抱え上げると、そっとあたしのベッドの上に寝かせた。
うわー、これでやっと脚が伸ばせる。
「それにしても、美羽って髪下ろしてる時はお淑やかそうに見えるよね」
そうだね、あたしもさっきそう思った。
「…このまま、中身も変わってくれないものかねぇ」
はぁ、と大きくため息をつく伸恵お姉ちゃん。きっと、みっちゃんの悪行の数々を思い出しているに違いない。
やっぱり、考えることはみんな同じなんだなぁ。
fin.