「ではトウヤさん、行ってきます」
あ、行ってらっしゃい．．．一切の記憶を無くしたあの事故の後、親父の貯蓄で何とか暮らしてはいたものの「このまま貯蓄を切り崩していては、先細りするだけです！」という雪さんの鶴の一声により、彼女は働きに出ることになった。
そんな訳で、自分が高校に通っている平日は、小笠原という家に泊まりこみでお手伝いさんに出ている。
もちろんいつものメイド服で。
正直、雪さんが働きに出ざるを得ないという今の状況を省ると、自分が情けなくてしょうがない。
でも、雪さんは「トウヤさんは何も心配しなくていいんですよ」といって聞かないし。
高校卒業までは、このまま甘えさせてもらうしかないのだろうか．．．
おはようございます、祥子さま。
ダイニングで朝食の用意をしていると、いつも通りの時間に祥子さまがお見えになった。
「おはよう、雪。お母さまは？」
まだ、ぐっすりです。「そうなの？いつものことだけどしょうがない人ね」
祥子さまは、苦笑を浮かべながらダイニングテーブルの席に付く。見れば見るほどに惚れ惚れしてしまう、いつもながらの優雅な身のこなし。思わず視線を引き付けられてしまうからでしょうか、祥子さまの周囲だけスローモーションで時が流れているようです。
サラダ、ハムのような冷めているメニューはあらかたテーブルに並べ終えてあったので、最後に焼きたてのパンと温かいスープをお出しして朝食の一揃えは終わり。
二歩下がって、傍らの壁際に立つ。
では、どうぞ。
「では、いただくわ」
振り返り、にっこりと笑みを向けてくださる。これがメイド冥利に尽きなくて、何だというのでしょう。「今日は木曜日だったわよね」
はい、それがなにか。「今夜もあなたが泊まりだという事を確認したかったの。学園から帰ったあとで話があるから、仕事を空けて待っていてちょうだい」
わかりました。「それと．．．雪」
なんでしょう？「今朝は忙しかったのかしら。ヘッドドレスが、曲がっていてよ」
祥子さまはそう言い、おもむろに雪の頭に飾られたヘッドドレスに手を添えると、軽く向きを整えてくださった。「ふふ、きっとマリアさまは雪のことも見ていらっしゃるから」
祥子さまは、学園では生徒会のお仕事をされているということで、帰宅が遅くなられることが多い。
特に最近は生徒会主催の学園行事の準備で忙しい様子で、その日のお帰りもすっかりと日が暮れたころでした。
「遅くなってしまったわね」
お疲れさまでした、お食事の用意は整っていますので。祥子さまの脱がれたコートをしわにならないよう手に取りながら、そう声をかける。
「そうね．．．先にお食事をいただいてからにしましょう」
そういえば、今朝何がお話があるとおっしゃっていたけど、その件でしょうか。「雪、あなた耳かきはできて？」
夕食の後片付けを終え、食後の紅茶を給仕しているとき、祥子さまに突然声をかけられたのがそのお言葉。へっ？
いけないいけない、意外な問いかけに思わず惚けたような声をあげてしまいました。
あ、耳かきですか。こう言っては何ですけど、耳かきは雪の得意技です。
「では、ちょっとわたくしの耳を掻いてもらえないかしら」
それはお安い御用です．．．けど。「なら、今すぐお願いできない？」
え、あ、はい。なんだか分からないまま、雪は祥子さまの耳かきをすることになってしまった。
妙な流れではあるけれど、祥子さまの耳かきをさせていただける事自体は幸運。トウヤさんを賭けた花梨さんとの闘いの末に習得した、耳かきの腕が鳴るというものです。
とはいえ、イかせるなんてことはもってのほかなので、そこそこの程度に留めておかないといけないでしょうけれど。
もちろんそれでも、祥子さまを十二分に気持ち良くさせる自信はあります。
では、こちらでやることにしましょう。
ソファに腰掛けていた祥子さまに並んで座り、肩に手をかけ優しくふとももへと誘ってみました。
「どうされるつもり？」
怪訝な表情の祥子さま。考えてみれば、ご主人様の隣に気安く腰掛けるなんて、メイドとしては過ぎた行動でしたでしょうか。
とはいえ、祥子さまはそういった瑣末な上下関係に拘られているような、懐の小さいお方とは思えないですし。
とすると、雪の意図するところがお伝えできなかっただけなのかも。
ひざまくらですよ、祥子さま。
「ひざまくら？耳かきとはそうしてするものなの？」
そうです、メイドプラスひざまくら、この条件にあらずんば耳かきにあらずだ、なんです。「そういうものなの？それならいいけれど」
やはり、ひざまくらをされるという事は、祥子さまにとって予想外だったようですね。納得いただいて横になられると、祥子さまのサラサラと長い髪の毛が雪の股の上に広がり、上品なコロンの香りが二人の間を包み込みます。
「あなたの膝の上、気持ちいいわね」
そ、それは光栄です！何気ない一言だけれど、その一言によって気合も入るというものですよ。
あらためて思う、祥子さまには何気無い一言だけで自然と周りを動かしてしまう力があるのでしょう。
人を使うことに長けた、まごうことなき真性のお嬢様なのだと。
では、よろしいでしょうか。
「ええ、お願い」
つやつやと綺麗な黒髪を左手ではらい、露になった白い耳。ちょっと覗き込んで見た感じでは、目だった汚れはない。
もちろん、祥子さまに限って耳の穴の中が耳アカまみれ、なんてことは有り得ないでしょうけど。
普段、耳のお手入れはどのように。
「綿棒で軽く掻く程度よ、汚れていて？」
いえ、お綺麗です。こちらが拍子抜けするくらいに、なのですけどとりあえず、穴の入り口付近から軽く掻きだします。
体質なのでしょうか、産毛も薄く綺麗で羨ましい。
スッ、スッ．．．スッ、スッ．．．
耳アカを取ることよりも、耳の壁をマッサージすることに重点をおきながらこまめにストローク。
祥子さまもまんざらではないのか、とろんと綴じたまぶたの先で、長いまつげが耳かきの動きに応じてひくひくと揺れているのが見えます。
か、可愛い．．．
期せずして目にした祥子さまの愛らしい様子から芽生える、ちょっとした悪戯心。
なら、特にここら辺は気持ちいい筈．．．
「ん！んっ．．．」
失礼しました、痛かったですか？「いえ、そんなことないの。でも、なんだか不思議な感じがして。大丈夫、続けて」
わかりました。快楽のツボを突いたことで、快感の波がピリッと全身を貫かれたのだろうけれど、今の様子からすると祥子さまの耳は結構感じやすいのかもしれませんね。
このまま祥子さまを攻め、悶えさせ、喘がせてしまいたい。
その端正な横顔が快楽の波で歪む様が見たい。
なんて、下品な欲望に飲み込まれそうになりつつも、そこはメイドとしてのプライドと理性によって踏み留まります。
その後は、多少力を抜きながら入り口付近を綺麗に掻き上げ、いよいよ耳かきは耳の奥へ。
動かないで下さい、ここから先は。
「えぇ．．．」
好きにして、という言葉の形を描いて祥子さまの唇は強ばり、声は続きませんでした。なぜなら、ついついいつもの癖、いつもトウヤさんをイかせているときの癖で、耳の奥深くを掻き上げてしまって。
「んっ、いっ．．．あんっ．．．」
ま、マズい！？思わず耳かきを引っ込めて、祥子さまの顔色を覗き込みます。あ、あのっ、祥子さまっ、大丈夫ですかっ。
びくっびくっと身体は震わせた祥子さま。それでもしっかりと頭だけは動かされないのはさすがです。
「きょ、今日はここまででいいわ、ありがとう」
もじもじと身体をくねらせながら、祥子さまは上半身を起き上がらせた。あまり耳かきに馴れられていらっしゃらないようでしたので、刺激が強かったのかも知れません。
申し訳ありません、雪がもう少し注意していれば。
「いえ、それはきっと耳かきに不馴れだったわたくしのせい、雪のせいではないわ」
祥子さまはほんのりと頬を染め、心なしか上気されているように見えた。祥子さま、反対側の耳はどうされましょう。
「そ、そうね。それは明日にでもお願いしようかしら」
はい、かしこまりました。そういえば、なぜ急に耳かきだったのでしょう。
「あぁ、それなら別に大したことじゃないのよ」
話の経緯はようするにこうです。祥子さまの妹である祐巳さんとのちょっとした雑談の中で、人にされて好きなことという話題になり、彼女曰く「耳かきされるのが大好きなんです」。
人に耳かきしてもらうという経験をされたことのない祥子さまは、それがどんなものなのかを体験したくて雪に耳かきを頼まれたと。
「あの子、耳かきされるのが大好きって言っていたけど、あの．．．さっきのような、刺激が、その．．．好きって事なのかしら」
祥子さまは誰にともなく呟く。当惑されているのでしょう、無理もありません。あぁ、先程の快感を思い出されているのか、一層頬が朱く染まっているような。
それは、祐巳さんが好きだと言っている耳かきは、今のものとは多分全然違うと思います、何しろ雪の耳かきは特別ですし、祥子さまは人よりも感じやすい体質のようですから。
と、誤解を解いておこうとして、思い留まりました。
雪の耳かきテクについて詳しく聞かれるのも困りますが、なにより祥子さまのこと、「感じやすい体質」なんて聞いたら相当気分を害されるのは間違いありません。
祐巳さんの事は、祥子さまのお話の中から得られるイメージだけで、良くは知らないのですけど．．．
あぁ、些細な誤解を抱えたままの祥子さまと祐巳さんに、幸せな明日が訪れますように。
fin.